2019年10月31日木曜日

いまだ復旧作業中の高尾山

最近はお天気もあまりあてになりませんが、途中車窓を通しての様子からして、昨日は予報が外れることはないだろうと期待していました。まさにそのとおりのお天気で、頂上に着くや否やウェアを着替えるほどの汗ばみようでした。
頂上で楽しみにしている軽食は今回から冬バージョンのカップ麺にしましたが、手のかじかみもなく、上手く口に運ぶことに成功しました。

先回初めて目にした富士山の冠雪は今回もきれいに確認できましたが、積雪の量に変わりはないように見えました。
富士山が目当てではないですが、お天気さえよければ、これから来年の春までは冠雪の雄姿が拝めそうです。

台風19号のため通行止めになっていた1号路は、先週24日に開通したようです。久しぶりなので、上り下りともに1号路を利用しました。通行には問題ないですが、ところどころ、まだ復旧作業中でした。上り時は朝早いので未だ作業は始まっていませんでしたが、下り時は大木の伐採やショベルカーでの土砂除去真っ最中でした。そのためかお天気にもかかわらず通行路が泥だらけで、駅では靴の泥洗浄のお願い看板も目にしました。
京王線を利用されるのは一般客のほうが圧倒的に多いわけですから、登山者のマナーですね。

2019年10月24日木曜日

荒川の調節池「彩湖」

「2020東京五輪のボート・カヌー会場に”彩湖”を」という話が出てすぐに消えたことは、地元戸田市民にとってはいまだ記憶に残っています。招致されなかった正式な理由は、「彩湖が調節池」だからと聞いています。競技する上での自然条件が良いことや、なによりも選手が望む会場ということで、当時は「管轄する国交省が、せっかく数百億円掛けたボート施設のほとんどが冠水する情報を流しました。」と非難する記事が見られるほどでした。

しかし今回の台風19号では、その調節池としての役割を十分に果たしたようです。AERA最新号でも、『250万人が暮らす「0メートル地帯」を救った「彩湖」と「首都圏外郭放水路」』として取り上げられています。
つまり、まさに彩湖が冠水してしまいました。その彩湖へ、きょう行ってきました。

10日以上たった今も、サイクリング・ジョギング・インナースケート・散歩等々に利用される彩湖円周の道路はもとより、隣接する野球場・テニスコート・バーベキュー広場・トイレ等々の施設にも、その爪痕は生々しく残っています。
もし会場に決定していたなら、今頃は施設も競技場も水没していたことでしょう。

招致されなかったことで一番胸をなでおろしているのは、元戸田市長をはじめ五輪会場誘致に奔走していた関係者ではないでしょうか。

2019年10月23日水曜日

高尾山から望む冠雪富士山

今回も、1号路は麓から途中まで通行止めでした。案内看板によると、10月23日、つまりきょう中には開通する予定だそうです。
上りは、前回同様稲荷山コースを利用しました。下りは、リフトが定期点検のため終日運休とのことでしたので、92回目にして初めてケーブルカーを利用しました。

きょうの高尾山は、申し分のないお天気でした。昨日の雨に洗われたような雲一つない青空のもと、今季初めての冠雪富士山を拝むことができました。
22日午後に甲府地方気象台の職員が目視で山の積雪を確認して、富士山の初冠雪が観測されたと発表されたらしいです。
私が確認したのは、23日午前8時半ころです。

2019年10月17日木曜日

高尾山の天狗像

昨日の高尾山はあまりにも寒かったので(10度を下回っていた)、早めに頂上を後にしました。
時間的に裕があったので、途中天狗様の写真を撮り、手帳押印所で「天狗様はなんと数えるのですか?」なんて質問もしていました。いろいろと調べていただいたのですが、架空の生き物なので、定説はないそうです。
高尾山に住む天狗様は、私の見つけた限りでは、次のとおりです。
薬王院の山門(四天王門)入ってすぐの右手に2体、本堂前左右に2体、仁王門内側左右に2体、本社前左右に2体。
もっともそんな余裕があったのは、ここまでです。

本社前の2体




仁王門の2体



本堂前の2体



山門入ってすぐ右の2体

2019年10月16日水曜日

下山路を絶たれてしまったきょうの高尾山

なぜか、きょうは上りの道として、迷いなく”稲荷山コース”を選びました。高尾山麓の寒さが、身体を軽く感じさせたのかもしれません。
上っている道中は、いつものように体は温まっていました。
しかし動かないとさすがに身体は冷えてきて、早々に頂上での休憩を切り上げざるをえませんでした。

いつもより早めに下山を始めたため、途中天狗像の撮影に時間を取りました。手帳押印所では、「天狗の数え方」を質問するほどの余裕でした。このことについての回答は、いろいろ調べていただいたのですが、「決まっていない」とのことでした。

悲劇は、この後に起きました。いつも下山に利用している1号路が、途中から通行止めになっていました。その案内看板が設置されていたのは、半分下りてきているリフト駅の手前です。警備員が配置されているため、強行突破はできない状況です。

通行可能な道は「上りに利用した稲荷山コースのみ」とのことでした。稲荷山コースを利用するにはもう一度頂上まで戻らなけれいけませんが、もうその体力は残っていませんでした。
91回目にして、初めてリフトのお世話になりました。